2010年8月17日火曜日

1969年、透析導入(3)

こうして、市内唯一の人工腎臓治療を有する病院に搬送され、命をとりとめた。
このとき、僕は意識不明でもちろん、腹膜透析がどういうものか、何の説明設けていない。すべてが両親と病院側の交渉で行われた。ここからは、父親がずっと後になって語ってくれた事です。

病院に到着して当直医に診てもらうと、採血結果などが出る前にどういう状況かを把握したそうです。そして、人工腎臓担当の医師が呼ばれたそうです。呼ばれたと言ってもこの医師は一人でこの病院の人工腎臓治療を取り仕切っていて夜間も病院に泊り込んでいたそうです。彼、ひとりでオーバーナイト透析もやっていたそうです。まだ、若く野心的、髪はぼさぼさ、一見、野暮ったいように見えるがさつなおじさん。そんな印象の医師でした。
彼は呼ばれてきて僕を見るなりこう言ったそうです。
「この状態で家で寝かしていたぁ!?何でもっと早く、連れてこなかった!はっきり言って手遅れですよ。」
このときの僕の状態はまず、腎不全による尿毒症、高カリウム血症、栄養失調、脱水症状、どれも重篤な症状だったそうです。緊急的救命措置が施されたあと、両親は医師に呼ばれた。
「息子さんは残念ながら助かりません。ただひとつだけ助かる方法があります。人工腎臓による治療です。血液透析と腹膜透析がありますが当院ではまだ小児には導入したことがありません。しかし、これを導入すれば息子さんの命は一時的にでも回復することができる、と思います。いかがなさいますか?」
父は
「どうにかこの子の命だけでも助けてください。なんでもやってください。」

そこから僕の透析人生は始まったのだが親父は僕の治療が続く中、さらに病院側に呼ばれた。病院側の説明は
「この治療は大変に治療費が掛かります。健康保険は適用されますがお子様の治療の自己負担分だけでひと月に20万以上は掛かると思います。それも何ヶ月掛かるかわかりません。あなたは支払い能力がありますか?」
父は
「なんとしてでもお支払いいたしますので治療の継続をお願いします。」
病院
「失礼でございますが人工腎臓装置には限りがあり、たくさんの腎不全患者さんが順番を待っています。皆さん、一刻を争う状態です。当院としてはこの先、あなたのお子様に人工腎臓治療を導入しあなたに費用の御負担をお願いするわけですが将来にわたって御負担いただける保証はいただけますか?」
父は
「早急に上司と相談して御返事いたします。まずは治療の継続をお願いします。」

親父は当時、地方公務員。財産はなし。貯蓄もなし。しかし、身分は保証されている。親父は上司と相談して、直属の上司、健康保険組合長、人事課長、3人を連れてさらに病院と交渉を持った。
病院側は言う。
「腎不全の患者さんが誰でもこの治療を受けられるわけでは有りません。われわれはこのお子さんの保護者であるあなたが将来にわたってこの費用を支払い続けることが出来るか、確約が出来ない限りこの治療を継続することは出来ません。支払いは確約して頂けますか?」
人事課長が話し始める。
「私たちは雇用主としてこの方のお子さんを守る立場にあります。彼は公務員でありこの先も身分は保証されています。給料も安定的であり退職金も算定できます。どうか、彼の息子さんの治療を続けてあげてください。」
健康保険組合長も
「私の方も全面的にバックアップすることをお約束いたします。」
病院側はそれを聞きさらに続けた。
「それでは治療費はどのようにして調達して頂けますか?」
人事課長は
「話し合った結果、現在、彼の給料では治療費を払い続けられません。しかし、中間手当て、年末手当、退職金の前借、健康保険からの借り入れ、あらゆる制度を使って支払いできると思います。」
病院側は
「それではみなさんの連名で誓約書を頂けますか?」
何をもってしても支払う事をお約束いたします、という誓約書が4人の連名でしたためられ病院側に渡された。
この話し合いで僕の治療の継続が決まり僕は今も生きている。
もちろん、この後、患者会が立ち上げられ運動が始まり国会請願など政治的動きもあって人工腎臓による治療費の自己負担分は公費で支出されることになり、親父の負担が解消されたのだが、2年分の自己負担分を完済するまでに10年を要したそうです。

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