2011年11月19日土曜日

鎮痛解熱

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鎮痛解熱

平成元年(1989)の正月、小渕官房長官の「元号は平成と決まりました。」

という記者会見を寝床の中で聞いた。

それまで年末年始は稼ぎどきで休んだことがなかったが、

この年ばかりは前年の大晦日から高熱がでて、会社を休んで寝ていた。

熱は、毎日39度を超える。

風邪を引いたわけでもなく、原因不明。

透析へ行って、ボルタレンサポ50mgをもらってきて無理やり熱を下げる。

一人住まいをしていたので、熱が下がっているうちに食べ物を調達しに、ふらふらと出かける。

そんな日々が3週間続いた。

医者が「一度、入院して調べてみるか。」と、予約を入れてくれたが、熱は突然下がった。



3年後の平成4年(1992)また高熱に悩まされる。今度は関節痛付き。

床から起き上がれない程の痛み。

日給月給制だったので休めばあとから生活が困窮する。

朝6時に目覚ましをかけて、熱を測り、39度を超えていたら、ボルタレンサポを使う。

出勤時間の午前7時半頃には効いてくるので、仕事に行く。

昼頃まではどうにか効いていて、仕事ができるが、

2時、3時となると薬の効き目がきれ、熱が出てきてどうにもならなくなる。

関節痛は前よりひどくなり、会社を早退する。


それでも、毎日、座薬を使って熱を下げ、仕事に行っていたが、

そんな綱渡りが続くわけもなく、ある日、会社の車を駐車場に止めようとして、

ブレーキとアクセルを踏み間違え、車が急発進。

外水道の蛇口を引き倒し、歩道の駐車禁止のポールに乗り上げて止まった。

道路標識と車は保険を使ってくれた。敷地内の水道は自腹で払った。

始末書というのを初めて書いた。


それ以来、ぼくの心の禁忌薬剤になった。


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