2010年9月19日日曜日

ICUの話

 イラン人とみのもんた
術前に、「手術が終わったら、すぐICUにいって透析をするよ。」 と、担当の医師に、言われていた。 麻酔から覚めると「透析のベッドがたりないので、○○病院で透析するからね。救急車で送るからね。」と、言はれ、搬送された。 その病院につくと、すぐに、風呂にいれられた。 その風呂は、ドラム缶風呂が3から5くらい並んでいて、窓が広く、青空がのぞいている。そして、あたりは湯気でもうもうと霞んでいる。 患者たちは、皆、はだかでベルトコンベアで、無言で運ばれてくる。 ドラム缶にはいると、なぜか、全員、プッカプッカ上下する。 おれも、ドラム缶風呂にはいり、ぷっかぷっかしたあと、透析室に連れられて行った。その透析室は、病院玄関の脇にあり、まるで玄関脇のサテライトスタジオみたいで、ちょっと変わっていた。



中にはいると、奥に4ベッドの透析室があり、ブルーの床屋さんのような服をきた先生が待っていた。 そして、「あぁ・・。まっていたよ。」と言って、透明なランドセルに液体の入ったものを背負わされた。 そして、そのランドセルから伸びる管の先に酸素吸入器のようなものをつけられた。そして、そのランドセルに入った液体が、おれのマスクに 充填された。その床屋のような医師が言う「しっかり息をすってごらん」おれは、そのオロナミンのような液体をおもいきり吸い込んだ! しかし、むせこむようなこともなく、苦しくもなかった。



「先生、これなに?」と聞くと、透析じゃないか、と一蹴された。 「いつまでやるの?」おれはしつこく聞いた。「一日じゅう」と、そっけない。おれは三日四日寝てないような眠気に襲われた。 目を覚ますと、なにやら外が騒がしい! イラン人らしき人々が玄関前にバリケードを築き、病院まえの道路に横づけした機動隊に向かい気勢をあげている。 「けいさつはカエレー!!!、イラン人をばかにするなー」 警察も負けてはいない。「ただちにかいさんしなさい!!!」 と、いって盾をかまえて進軍してきた。 するとイラン人たちは、ますます興奮して、どこから持ち出したのか、 投石をはじめた。警察は後退し、両者にらみ合いとなった。



この事件は、報道され大事件となっていた。おれは、こりゃ~、テレビもくるな。と、心のなかで思った。すると、早速、テレビクルーがやってきた。まず、前のりのディレクターが、透析室に乗り込んできた。 先生が抗議すると、「病院には許可をとってあります!」なかなか、やり手のようだ。長い髪をうしろに束ね、黒いスーツに身を包み、てきぱきと機材を運びいれ、男たちに指示をだしている。 そこへ三橋看護部長が現れ、なにやら女ディレクターと打ち合わせを始めた。そこへサングラスをかけたこわもての男が現れ、その後ろから、みのもんたがやってきた。彼はさすがでフアックスをペラペラとみて、 看護部長と二言三言話すと、取材を始めた。



その場面はすぐにLIVEで放送された。おれはなぜか、親父が心配して、来てくれるんじゃないか?と考えた。 すると、2時間くらいで親父がやってきた。親父がはおれに「こんな問題のある病院でだいじょうぶか?」と、いった。おれは手術をしてくれた医師を信頼していたので「○○先生がみててくれるよ」と、親父にいった。 取材をおえた、みのもんたは、親父と話し始め、意気投合!!! なにやら、酒の話になり「イッパイいきますか?」と、話がまとまり、タクシーを呼んでふたりでどこかへのみにいってしまった。

テーブルに親父のケータイが残されていた。



すべて夢のお話です。たぶんね。

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