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鎮痛解熱 |
平成元年(1989)の正月、小渕官房長官の「元号は平成と決まりました。」
という記者会見を寝床の中で聞いた。
それまで年末年始は稼ぎどきで休んだことがなかったが、
この年ばかりは前年の大晦日から高熱がでて、会社を休んで寝ていた。
熱は、毎日39度を超える。
風邪を引いたわけでもなく、原因不明。
透析へ行って、ボルタレンサポ50mgをもらってきて無理やり熱を下げる。
一人住まいをしていたので、熱が下がっているうちに食べ物を調達しに、ふらふらと出かける。
そんな日々が3週間続いた。
医者が「一度、入院して調べてみるか。」と、予約を入れてくれたが、熱は突然下がった。
3年後の平成4年(1992)また高熱に悩まされる。今度は関節痛付き。
床から起き上がれない程の痛み。
日給月給制だったので休めばあとから生活が困窮する。
朝6時に目覚ましをかけて、熱を測り、39度を超えていたら、ボルタレンサポを使う。
出勤時間の午前7時半頃には効いてくるので、仕事に行く。
昼頃まではどうにか効いていて、仕事ができるが、
2時、3時となると薬の効き目がきれ、熱が出てきてどうにもならなくなる。
関節痛は前よりひどくなり、会社を早退する。
それでも、毎日、座薬を使って熱を下げ、仕事に行っていたが、
そんな綱渡りが続くわけもなく、ある日、会社の車を駐車場に止めようとして、
ブレーキとアクセルを踏み間違え、車が急発進。
外水道の蛇口を引き倒し、歩道の駐車禁止のポールに乗り上げて止まった。
道路標識と車は保険を使ってくれた。敷地内の水道は自腹で払った。
始末書というのを初めて書いた。
それ以来、ぼくの心の禁忌薬剤になった。
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