サンプラザホールにて全腎協・全国大会が開催されました。
開会、黙祷の後、宮本高宏会長挨拶、宮城県腎協・喜久川幸雄理事長の挨拶と続き、
役員交代があり、新役員の紹介と退任役員の挨拶があった。
この中で、現会長宮本高宏氏が今全国大会をもって会長職を辞するとの挨拶があった。
残念ながら理由は述べられなかった。
患者の訴え。
岩手県患者の会 佐藤博子さん
少しずつ前に向かって
全国からの支援と励ましに感謝を
感謝を胸に元気に生きる
今年は74名の方がおられました。
大会決議案が採択されました。
休憩の後、
シンポジウム「3.11 東日本大震災から学ぶ」
座長 吉村則男 社団法人全国腎臓病協議会
シンポジスト 宮崎真理子先生 東北大学病院血液浄化療法部副部長
伊東毅氏 元南三陸志津川クリニック臨床工学技師長
伊東氏より3.11当時の様子をお伺いした。
震災当時、志津川クリニックで透析業務に就いておられた。大きな揺れを感じるとすぐに離脱作業にかかる。こちらの地方では古来から散々、津波災害にあっており、大きな地震が起きればすぐに津波がやってくる,ということは身にしみて分かっており患者さんからもなんの混乱も起きずスムーズに離脱作業が出来た。 まず、若く合併症などの少ない方を離脱させ離脱作業、避難作業を手伝ってもらう。日頃、訓練をしているのでむしろ、率先して作業に協力をして頂いた。おかげで効率よく早期に全員離脱、避難が出来た。ところがこの地域で指定されている避難場所は2.5キロも先にある高台、とても、透析後のお年寄りたちと行ける場所ではない。そのため、ここから近い、公立志津川病院に避難することにした。付近の住民も大勢こちらに避難してきて大変な様子。すぐに津波がやってきた。6〜7mとの予想だったがとんでもない。10m以上の山のような津波がやってくる。3階を避難場所にしていたが急遽、屋上まで避難することになる。詳しくは河北新報2011.6.7
宮崎真理子先生のお話
震災当時、先生は東北大学病院の血液療法部に前年’10年の10月に赴任したばかりだったが、東北大学病院は地域の基幹的役割のある病院だったので、被災透析患者の情報が続々と集まってくる。そんな中で災害医療コーディネーターとして宮城県より委嘱された。地域が被災されみんなで頑張ろう、としても水、電気、ガス、交通などのインフラが破壊されると透析患者はまず、透析が出来なくなる。なかでも水道は透析患者の命に直結するだけならず、透析室が復旧し透析を行うと水が大量(一回の透析に180ℓ)に必要となる。これだけの水があれば飲料水としては相当な確保量となるが透析に使えばわずか2〜3時間で消費してしまう。大災害のときは速やかに透析患者であることを告げ遠隔地に避難させてもらうことが自分のためでもあり、被災者のためにもなる。現地で頑張ろう,と思わないで一旦、遠くの地に避難する勇気が必要である。昼食
三陸の幸一杯のお弁当 |
「透析患者の栄養管理〜食べちゃいけないものはないんです〜」
講師 守屋淑子先生 仙台社会保険病院栄養課長 管理栄養士
食事療法というととかく制限となりがちで何を食べていいか分からない、という質問がよくありますが食べていけないものはないんです。時とバランスを工夫すれば何でも食べられるんです。
大きな地図で見る
これからもいつ起きるか分からない大災害。
私たち透析患者は何も無くてもサバイバルですから、
もしものときの事はいつも考えておくといいですね。
透析が万が一出来なくともすぐには影響が出ないような体調に整えておくことが大事。
平均4日間は透析が出来なくなるそうです。
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震災翌日の朝9時、透析可能な病床は震災前のわずか14%だった
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/jsdt2011/201106/520306.htmlにほんブログ村
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