2012年8月28日火曜日

あ〜、あこがれのハワイ旅行。

2005年、2006年と敗血症や大腿骨折手術などで命の危険を感じていた。
大腿骨折で3ヶ月入院した後、クリニックの担当医は、
「まだ、通院するのは無理なんじゃない?」と言って拒んだ。
そして、渡されて行った、山奥の病院は脳血管疾病の術後の患者などが療養する病院だった。
透析は週3回、4時間やって食事して後はベッドで寝ているだけ。
温泉がある、というのが売りだったがその温泉もストレッチャーに裸で乗せられ、
シャワーで2人掛かりで洗われるだけ。
こんなはずじゃなかった!と思ったが、もう遅い。
ここにいたら俺はここでおしまいになるんじゃないか?と言う不安がこみ上げてきた。

そんな時にヘルパーの奥さんが
「あんた、まだ若いんだから、こんなとこにいちゃダメだよ。親に迎えにきてもらいなよ。」
その言葉を聞いて僕はすぐ、親に電話し担当医に受け入れてもらい生還した。

その年の冬、県立病院で人工血管の手術をし透析が安心して出来るようになり、
僕の体調は今までにないほど、良くなって行った。

そこで、僕は考えた。
この、調子の良い、シャントの穿刺の心配のない今こそ、旅行透析を受け、
チョット旅にでよう。どうせ、行くなら海外にしよう。

こういった安易な考えだけで海外透析旅行に行く事を決めた。
2007年の正月の事である。

全腎協の広報誌の裏表紙に出ている広告をみて、透析患者の海外ツアーがある事を知り、
早速、パンフレットを取り寄せた。
添乗員付きで透析の手配もしてくれる。これなら安心と応募した。
オアフ島ワイキキ4泊6日の旅だ。海外旅行は生まれて初めて。
もちろん飛行機も初めてだ。病み上がりの俺の体から力がみなぎりテンションは上がった。

まずは医師に言ってみた。「ハワイでも行ってこようかな?」
即答で「いいんじゃない。行ってきなさいよ。」
親父は止めるかな?「ふ〜ん。」

俺みたいな大腿骨折既往の透析患者はもう、海外旅行なんて無理だと思っていたが、
誰も俺を止めない・・・なら、ほんとに行くぞ!
てんで手続き開始。まずは担当医に病状と旅行許可の書類を英語で書いてもらう。
次にパスポート取得。
あとはもう、代理店がやってくれる。簡単。
僕の心はもう、あこがれのハワイだ。

つづく

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