2005年、2006年と敗血症や大腿骨折手術などで命の危険を感じていた。
大腿骨折で3ヶ月入院した後、クリニックの担当医は、
「まだ、通院するのは無理なんじゃない?」と言って拒んだ。
そして、渡されて行った、山奥の病院は脳血管疾病の術後の患者などが療養する病院だった。
透析は週3回、4時間やって食事して後はベッドで寝ているだけ。
温泉がある、というのが売りだったがその温泉もストレッチャーに裸で乗せられ、
シャワーで2人掛かりで洗われるだけ。
こんなはずじゃなかった!と思ったが、もう遅い。
ここにいたら俺はここでおしまいになるんじゃないか?と言う不安がこみ上げてきた。
そんな時にヘルパーの奥さんが
「あんた、まだ若いんだから、こんなとこにいちゃダメだよ。親に迎えにきてもらいなよ。」
その言葉を聞いて僕はすぐ、親に電話し担当医に受け入れてもらい生還した。
その年の冬、県立病院で人工血管の手術をし透析が安心して出来るようになり、
僕の体調は今までにないほど、良くなって行った。
そこで、僕は考えた。
この、調子の良い、シャントの穿刺の心配のない今こそ、旅行透析を受け、
チョット旅にでよう。どうせ、行くなら海外にしよう。
こういった安易な考えだけで海外透析旅行に行く事を決めた。
2007年の正月の事である。
全腎協の広報誌の裏表紙に出ている広告をみて、透析患者の海外ツアーがある事を知り、
早速、パンフレットを取り寄せた。
添乗員付きで透析の手配もしてくれる。これなら安心と応募した。
オアフ島ワイキキ4泊6日の旅だ。海外旅行は生まれて初めて。
もちろん飛行機も初めてだ。病み上がりの俺の体から力がみなぎりテンションは上がった。
まずは医師に言ってみた。「ハワイでも行ってこようかな?」
即答で「いいんじゃない。行ってきなさいよ。」
親父は止めるかな?「ふ〜ん。」
俺みたいな大腿骨折既往の透析患者はもう、海外旅行なんて無理だと思っていたが、
誰も俺を止めない・・・なら、ほんとに行くぞ!
てんで手続き開始。まずは担当医に病状と旅行許可の書類を英語で書いてもらう。
次にパスポート取得。
あとはもう、代理店がやってくれる。簡単。
僕の心はもう、あこがれのハワイだ。
つづく
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